「愛がなんだ」 角田光代

愛がなんだ (ダ・ヴィンチ・ブックス)
自己中心的で自分勝手なオレ様男のマモちゃんに惚れているテルコ。あまりに彼中心の生活がたたり仕事も首になるくらいだ。そのテルコの仲良しの友だちの葉子の母が典型的お妾さんで、旦那がいつ来てもいいように家は完璧に整い、まるで旅館の部屋のように隙がなかった。そんな母が嫌で自分は男をいいなりにしたいと思っている。そして葉子にひっそりと寄り添うナカハラ君。
マモちゃんと上手くいったり行かなかったりしているとき、30歳であけっぴろげな感じの女性すみれさんが現れ、マモちゃんは好きになってしまったようで・・

そのすみれさんが言う。「ファミレスでごはん食べてたらファミレスが似合う顔になるのよ。百円ショップで生活雑貨そろえたら百円ショップの顔になるの。」
当たり前そうでいてはっと思った。自分はどうかと自問する。

そしてすみれさんは、マモちゃんのように自分が世界の大中心と思っているような自分系は苦手という。
「ねえ、恋人ができたときにさあ、その恋人を身内と考えるか、一番したしい他人と考えるか二通りあるでしょ? 身内派は、恋人に絶対気をつかったりしない。他人派は、親しき仲にも礼儀あり。ちゃんと友だちより優先してくれる。」
日本の男の子は身内系が多いような気がするがどうなんだろう?

そんないいところのない男にどうして付きまとい、いつまでも離れられないのか理解できないが、テルコはマモちゃんの顔や性格や何か秀でているところを好きになったのではない。
そういうプラス部分に魅かれているなら、プラスがひとつでもマイナスに転じれば嫌いになるのは簡単だ。

マイナスであることそのものを、かっこよくないことを、自分勝手で子供じみていて、かっこよくありたいと切望しそのようにふるまって、神経こまやかなふりをして、でも鈍感で無神経さ丸出しである、そういう全部を好きだと思ってしまったら、嫌いになることなんて、たぶん永遠にない。

これはつらい。だめんずに魅かれるというのは、落ちると逃れられそうもない。人を好きになる理由はさまざまで複雑だ。