「国家の品格」藤原正彦

国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)


この爆発的に売れたベストセラーを今になって読む気になったのは
先日放送された「僕らの時代」を見てからだ。
岸恵子鳥越俊太郎とともに出たこの番組は、三人とも
外国の事情をよく知り、今の日本に対して独自の意見を持つ。
アメリカで研究生活をして、その自由を満喫して
すっかりかぶれて帰って来たという藤原自身が
日本が戦後アメリカに支配されていたのは間違いだった。
(よくなかったという意味において)
他の国だったらもっと違っていたという。
たとえばヨーロッパの国とかだったらなどと岸さんとも
意見があっていたのが私は新鮮な感じがした。
その後イギリスでもすごすことになった藤原は
アメリカとの違いにまたまたびっくりする。

ニュートンの頃と同じ部屋で同じような黒いマントを着て
薄暗いろうそくの光のもとディナーを食べることに
喜びを見出すような伝統を重んじる人々で
論理を強く主張するひとは煙たがかれ、慣習や伝統、
誠実さやユーモアが重視されたという。
同じアングロサクソンなのにずいぶんと違うと思ったと言う。


このやせがまんと紳士道、武士道というのは
やはり共通するなと思った。


ところが日本とはまったく異なる性質の文化アメリカに
支配されたところが日本の悲劇なのだろう。
自然と融合してくらすように、日本人はやはり適応力があるのか
なんとなくその方式に溶け込んでいっていしまう。
でも「レクサスとオリーブの木」でもマックが日本に溶け込みすぎで
日本の子供がマックは日本の会社と思っているというのは
まずいだろうとあったが。


こんな地味な本がどうしてあそこまで火がついたのかは
とても不思議だた、確かに面白いし、politicaly correct路線でなく
かなりやんちゃで持論を力ずくで展開する。
ユーモアもたっぷりで自信過剰なところも楽しく読める。


藤原はなんでもロジカルに説明しなくても
「とにかくダメだからダメなんだ!」でいいという。
弱いものいじめはなぜだめかとか、人を殺してはなぜいけないとか。
このいちいち論理的に説明することを投げ出し、ストレートに
訴えかけるところはなかなかいい。


彼は民主主義にも疑問を呈している。
そもそも国民が成熟した判断ができる場合のみにすばらしく
民主主義は機能するというのだ。
そして往々にして国民というのはそこまで賢くない。
ヒトラーだって選んだのはドイツ国民だった。


戦争だって、するような指導者をそもそも選んでいるのは国民だというのだ。
そして自由に関しても「自由とは面倒なものである。始終あれこれ自分で考え
多くの選択技の中から一つを選ぶという作業をしなくてはならないから
である。これが嵩ずると次第に誰かに物事を決めてもらいたくなる。
これが独裁者につながる。」とフロムが言っている。
これは自由とは、自分で決めるとは面倒で、みんな誰かに
決めてもらいたがっているとずっとこのところ自分自身で
感じていたことなので、成る程!と思いながら読んだ。


日本にはもはや真のエリートはいなくなったという。
藤原のいうエリートの条件はふたつ。
いざとなれば国家、国民のために命を捨てる気概があること。
そして文学、歴史、哲学、芸術、科学など何の役にも
立たないような教養をたっぷりと身に着けていること。
そうした教養を背景に、庶民とは比べ物にならないくらいの
圧倒的大局観や総合判断力を持っていること。
この実務的じゃない教養というのは大切なんだな。


学校数学は昔は日本はかなり他国を圧倒していたが
最近はアメリカにも並ばれたことが恐ろしいと書いてある。
初等中等教育が十分に機能しなくてもどうにかなる国は
アメリカだけだからという。アメリカの富に惹かれ
世界中の頭脳が集まるため、アメリカ生まれの人が低迷しても
国力が衰えることがないそうだ。
日本は教養も学力も生活もなかなか中の上くらいで
粒よりだった気がするが、今後はアメリカのように
大きく格差が生まれたりするのだろうかと
ちょっとだけ不安に想った。


それにしても期待以上に面白かった本だった。