「終戦のローレライ」 福井晴敏

終戦のローレライ 上
亡国のイージス」も面白かったので、これも読んでみることにする。
これもやはりなんだかガンダムっぽい印象のシーンが多い。ちょっとララァとアムロが通じ合う的な、シャアとセイラのような・・・


長々と続く戦闘シーンはちょっと退屈だったが、戦時中の話なので、読んでいてちょっと目元がじわっとすることもあった。みんなが精一杯戦いその中ですっかりと敵役になってしまった感のある朝倉大佐に私はずっと興味を惹かれていた。


見目麗しく、頭も切れ、度胸もあり、華族の坊ちゃんという育ちのよさなど、それだけで私はにんまりだが、南方の前線に自ら望んで赴き、極限状態の中でも食べ物を作り人間的に生きる生活を自分の隊で行う強さ。
その後更なる飢餓地獄へと落ちていく兵隊達の中で、悩みながらもリーダーとしてみんなをまとめ、諭し、導く。その時に日本の戦後の未来についても思い悩み、どうしたらよくなっていくのか考え抜く。その結果が飛躍しすぎなところがあったりして、あんなことになってしまったのだが、日本をよくしていきたいという思いは人一倍強い。


先日「その時、歴史が動いた」の白洲次郎特集を見たら、なんとなく朝倉大佐と重ねてしまった。あの当時でも身長が180cmもあり、ルックスもよくおしゃれで(要するに見た目?)日本の復興のために尽力をつくし、アメリカの言いなりになるのではなく、正しい道を模索する。


白洲次郎という人は単なる趣味人的に思っていたが、こんなにも政治の中枢にいたとは驚いた。白洲正子の方が興味あったのだが、次郎のかっこよさにすっかりやられてしまった。


さて、朝倉大佐の最後があんな形になるのは、物語上やむをえないとはいえ、やはり悲しい。でももっとつらいのは苦しい地獄を共に生き抜いた同志であったはずの田口が、途中であっさりと改心して、「華族上がりののボンボン」などと朝倉を言うようになったことだ。物語としてはまったくもって正しい展開なんだが、やるせないな・・・